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2013年07月14日

宍戸仙助先生講演会

日にち:6月15日(土) 14:00〜16:00
場所 :川崎市総合福祉センターエポックなかはら
出席人数:50名

高橋代表挨拶
 大人の狭間で苦しみ続けているのは子ども達です。子ども達はこれから何十年と私たちの後を引き継いでこの国を豊かにしていかなければなりません。私たちが今やらなければならないことは、こどもの命を最優先に考えることだと思います。すでに12名の子ども達が甲状腺がん、あるいは16名がその疑いがあるということです。私たちができる最大限の方策を考えて作っていかなければならないと思っています。保養プログラムを8回行ってきた意義を本日宍戸先生の示唆に富んだお話を聞きながら大転換させ、子ども達一人一人の命をどうやって守っていけるのかを考えていきたいと思います

2013冬・春保養プロジェクト報告(高橋代表)
2011年原発事故の後、私たちは子ども達の内部被曝をできるだけ少なくしたい、そのためには、1日も早く放射線量の低いところへ避難させることだと考え、その年の8月に川崎市で子どもだけのサマースクール、その後伊達市から親子を呼びました。今年も春と冬に4泊5日に親子を招いて「リフレッシュinかわさき」をしました。今まで8回行い今年の夏も9回目をします。
子ども達に人気の夢パークはどろんこになったり、火をたいたり、何をしてもよく、のびのびと過ごします。川崎では2001年に全国に先駆けて川崎市子どもの権利条例が施行されました。夢パークはその願いを元に作られた施設です。子ども達が笑顔になればお母さん達も笑顔になります。
川崎市は公害問題が起きている昭和46年〜53年までグリーンスクールという移動教室プログラムがありました。公害地域にある学校の教育課程の中に組み込まれ2、3泊の日程で保養を行ったそうです。脆弱な民間の力ではなく公費できちんとした計画を持って移動教室を是非制度化してもらいたいと思います。
福島ではいろいろな問題が続き、長引くことでねじれを起こしています。忘れないで少しでもできることを考え
ていきたいと思います
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宍戸仙助先生の講演 (元伊達市立冨野小学校校長 アジア民族友好協会)
保養プログラムは学校が休みの時参加させていただくもの、移動教室は学校が教育活動の一環として、学級・学年の全員が他県などに移動して学校の教育活動をするものです
 今福島に残っている人たちは逃げたくても逃げられない人たちです。そこを離れては生活の目処がたたない、家族がこれ以上ばらばらになりたくない人たちです。戻ってきた人は安全だから戻ってきたのではなく、戻るしか方法がないから戻っているのだと聞いています。
保養プログラムはインターネットで募集されることが多いのです。富野小学校は実家庭数20でしたがインターネット環境があるのは7戸、主に中高生のお兄ちゃんお姉ちゃんはできるが親が使っている家庭は少なく、昨年度、保養プログラムに参加した家庭は0でした。昨年保養プログラムに参加できたのは延べ人数3000人、福島、伊達、郡山で10万人のうちの3%です。ですから、チラシを作っていただいたのはありがたいです。
月刊「教育」(かもがわ出版)3月号の特集「あの日からの福島の教育」の井戸川あけみ先生の文に「2年前から変わらない現実を子ども達は毎日目の当たりにし無力感を感じています。子ども達の心はすべてを失った喪失感を感じています。仮設住宅の中で大人への不信感をつのらせています。」という内容の記述があります。
私は、(2011年の)8月1日から富野小学校へ赴任しましたが、1学期は、子ども達は一切校庭には出られない、プールも使えない生活でした。2学期になっても、全員帽子をかぶりマスクをして積算線量計をさげていました。去年の1学期中にプールの除染作業に入りました。グラインダーで手作業で削ります。削ったものは集められましたが、ガイガーカウンターではかると怖いほどの高線量です。それは、今でも校庭にあります。
昨年6月末に5,6年生7名が3泊4日で新潟県見附市の田井小学校へ「移動教室」に行きました。放射線避難から始まったことですが、それ以上に教育的価値のある取り組みだと思います。その後、千葉市の少年自然の家に私の学校ととなりの学校全員が招待されました。学校ぐるみというのはとてもいいと感じました。人間関係ができている。信頼する担任の先生が一緒にいる。精一杯自分を出すことができる。子どもは本当はこうなんだと思いました。
今の中高生には新しい生活環境に適応する力が欠けているのではないか。そして身辺自立、協力、協調する力を家庭では実践する場が少ないような気がします。新しい人間関係を作り出す力、維持する力、発展させる力という要素が移動教室にはあり、学校生活では発見できない友達の良さ、先生にも子どもの新しい面を発見できる良さがある。そして子ども達は、自分たちは大切にされる存在であると自覚していきます。それが自尊心や自己肯定感を育てていきます。福島県ばかりでなく日本中どこでも意味のある取り組みだと思っています。
 私は震災前にラオスに2回連れて行ってもらっています。
 ベトナム戦争の時のクラスター爆弾の不発弾で毎年200人くらいが死んでいます。その半分が子どもです。戸籍がないので女の子たちも売られていきます。臓器売買がまかり通っています。
(貧しく学用品も乏しい中で真剣に学んでいる目)こういう目をみたくて教師になったことを思い出しました。福島の子ども達にもこういう目を取り戻してあげなくてはならない。そのために何ができるかを考えなくてはいけない。
 震災前ですが、子どもたちと学用品を送る活動をしました。この活動にかかわった若い先生が言っていました「ものがあふれる豊かさの中でそれが幸せだと感じていましたが、この活動を通してもので満たされただけの幸せはちっぽけだと感じました」
(子ども達が食べるラー油を作って販売しラオス支援の資金作りをした)子ども達が輝きを見せたのは人の役に立つことができたというよろこびだったのだと思います。
 福島の子ども達にも日本中の子ども達にも、自尊心、自分たちが大切にされているという自己肯定感、人の役に立っている自己有用感をどうやって持たせるか、それを持たせることができれば原発事故を乗り越えられるのではないかと思っています。子ども達は目的と方法を理解させれば輝くんです。何のために勉強しているのかがわからなくなりつつあるのではないでしょうか。自殺、いじめ、体罰、不登校、日本には様々な大きな教育課題があります。震災、原発事故があった今だから乗り越えられる。今乗り越えなかったらいつ乗り越えられるのか。
子ども達は自然そのものに働きかけることによって、自分は現実を変える力があると実感します。(今)子ども達は現実を変える力が無いと思い込んでいる。
富野小学校の子ども達は、日本中、世界中からもらった励ましにこう発信しています。「ありがとうございました。一生懸命運動し、勉強し、いつか恩返しとして、日本や世界の人たちの役に立つ人間になるように頑張ります」
子ども達は逃げることができません。だからこそ保養、移動教室が必要です。ベラルーシでは年2回24日間、サナトリウムという施設を作ってまでやっています。今日本では空き校舎が増えている地方もあります。新しい施設など作る必要はありません。
子ども達の力、意志を引き出して、子ども達にやらせていただけるとありがたいです。見守っていただきたい。
私はこういう(保養を主催する)団体に「火、水、木、金、土」を大切にした活動をお願いしています。火を使わせてください。水を使わせてください。木に登らせてください。刃物を使わせてください。土にさわらせてください。子ども達が元気になる重要な要素だと思います。川崎の子ども達も一緒に参加させて友達作りをさせてください。体を触れあわせてください。
福島の子ども達と川崎の子ども達が強い絆で結ばれ一緒に、これからの美しい日本を支えてくれることを願っています。
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質疑応答
Q移動教室がどういうきっかけで実現に至ったか他の学校でも行われたのか、をお聞かせください。 
A伊達市では1昨年12月の校長会で教育長から話がありました。新年度の計画が作り始められているので可能なところから実施します、行きたい学校は手を上げてくださいということでした。12校が手を上げ3校が取り下げて9校169人の参加でした。見附市と伊達市市長の繋がりがあって実現できた。伊達市は以前から市内の施設を使って通学合宿をしていた。通学合宿は教育上非常に効果があると報告されていて、伊達市は霊山町子どもの村を使ってやっていましたが、震災でできなくなっていた。保護者から通学合宿をやって欲しいという要望などもあって見附市の申し出と結びつき、財政的な支援は地域交流センターが募金をしてくれました。今年度は8校300人弱が参加する予定だと聞いています。
なぜこれが広がらないか。保護者からの希望が学校側に届いていないのが一番大きな原因です。
先生の勤務形態の扱いも難しい。(先生の負担を考えると)できればやりたくないというのが学校側のスタンスになる場合もある。やろうと思えば方法はあるがやれない理由を挙げるのは簡単です。保護者からの要望が上がってきて、学校が押さえきれなくなれば、方策を考えることになると思います。

Q(自分の子どもの通う学校には空き教室がある)子どもの学校に移動教室をやってもらえるか父兄から提案したいのですが、どういうアプローチでやったら良いのでしょうか。
A上からの方法としては、保養などのチラシを配りたいときには市町村、教育委員会の後援をとってもらいたい。行政の後援があるともらった市町村でも安心する。下からの方法としては保護者の方が運動を盛り上げ仲間を作ることだと思います。何人かでPTAの役員会に提案してください。(今日講演で話したような)放射線避難以外の移動教室の意義を前面に出して話をすれば理解してもらえるのではないか。結果的に放射線避難になった。それ以上に教育的意味がある。それを表に出していく。何より参加した子どもが楽しみ、変わっていく、成長していく、その子を見た保護者が移動教室ってすごいなぁと感じることが大きな力になっていくと思う。


Q(私は公害に非常に関心がありました)昭和44年にグリーンスクールが始まりました。公害問題の時中心になったのは、患者さん、医療機関です。放射能は目に見えない、臭いもしない、公害は亜硫酸ガスのにおいがし、空は真っ黒だった。患者さんは目の前でばたばた死んでいった。医療機関が声を上げ、それを受け止めたのは行政だった。国に先駆けて条例を作った。高線量が気になる地域の人が手を取り合って声を上げ、我々はそれを支援し国会で法制化していく、そういう流れが必要になる。市や教育委員会、新聞社、いろいろなところに声をかけ被災地と連携を取りながら集会をどんどん開き、議員に認識を持ってもらう。
A福島の現実ではなく、なぜ東南アジアに目を向けているのかと(妻に)言われましたが、今福島の子ども達は無用な被曝を避ける権利を奪われている。それを誰も叫ばないのは情けない。私にとっては福島の子どもを支えるのも(生きる権利さえ奪われている)東南アジアの子どもを支えるのも同じで、日本の今の教育を支えるには鏡が必要です。そのヒントが東南アジアに山奥にあるのです。日本がこの40年、50年の間に失ったものは何か、行政への要望は市民から作っていくものです。日本も子どもの権利条約を批准していますが日本の子ども達は学校で教えられていないように思います。これから日本、地球を支えていくのはあなたたち、(食料や人口、原発等)様々な問題はこういう現状だと正しく教え選ぶことを任せるしかない。正しく現実を教えていないことに問題があると思います。


Q伊達市以外でも移動教室のようなプログラムが行政を通して行われているところがどれくらいありますか。
A移動教室は今のところ伊達市以外で始まることは聞いていません。移動教室を福島県で認めることは文科省の・・・(?)を否定したことになるので行政として前向きに推奨できないのだと思います。チェルノブイリと福島を一緒に語るのは無理があるかもしれませんが、チェルノブイリの現実を福島の現実にしないためにモデルとして日本も取り組むのが被災者支援法だと思っているのですが、議員立法のために具体的にお役人が動かない。インターネット等を使いながら市民レベルでいっしょに考えていく運動を起こしていくしかないのかなと思っています。

・・市議会の露木明美です。川崎市では震災の後基金を作りました。最初の年は物資を届けました。その後は川崎に避難している方、200人弱くらいに生活の場を提供しています。職員の派遣もしています。しかしもっと支援できないかと思っています。基金がまだ残っていますが、どのように活用すべきか躊躇している現状です。このような活動等に活用できるように意見を言っていきます。
・・川崎市の元小学校教員です。子供たちを福島から受け入れるには行政が動かなければならないと思いますが、それを現実にするには私たちが動かなければならないと思っています。

宍戸 ラオスの子供達は家族の一員である自覚がある。家族における(家族を支える)自分の位置と価値がはっきりしている。日本の子供達は家族にとって自分が大切な存在であることを知っているのでしょうか。なぜ勉強しなければならないかを知らないのだと思います。家族の中で役立つこと、家族に必要とされているという自己効力感・自己有用感を実感させる体験に方向づけることが必要だと思います。それが千年に一度の災害、原発事故を受けた今、日本の教育の有りようだと思います。
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閉会挨拶(江田副代表)
今、最も大事にしなければいけないのは生きているものの命、子ども達の将来ですよね。そのためには教育は非常に大事だと思っていました。原発を止められなかったという大人の責任として何とかしなければいけないという思いで、何もわからないままにこの保養プログラムをやってきました。私たちが(保養に)呼べるのはごく一部です。移動教室のように制度的なものとしてやっていかないといけないのではないかということに到達しました。是非川崎市でも受け入れられないかと、いろいろな方にお話を聞きました。議員立法で成立した子ども被災者支援法も実質進んでいない。それではそれを使ったモデル事業として何かできないか。それぞれ自分のフィールドの中でやれることを探ってみよう、それを持ち寄って第一歩にしようということに至り、この集会を持ちました。
子ども達が今までの教育の中で、人の思いを想像する、そういう教育がなされていなかったからではなかったのではないかと思います。この事故をきっかけに教育を見直す、こどもたちの未来を守っていく意味で移動教室をやっていきたいと思っています。自分たちになにができるかを探っていきたいと思います。今自分たちにできる保養プログラムを続けていきますが、移動教室の実施を目指して力を貸してください。川崎市で受け入れられるようなかたちで取り組んでいきたいと思います。よろしくお願いします。

posted by 川崎市民の会 at 12:02| Comment(0) | 事務局 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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福島第一原子力発電所の事故による放射能の拡散は長期化が予想され、未だ終息の気配を見せません。
先は見えず不安が増すばかりの状況です。
「福島の子どもたちとともに」川崎市民の会では、8月にサマースクールを開催して福島の子どもたちを招き夏休みを過ごしてもらいました。
引きつづき、「子どもたちを放射能から守る福島ネットワーク」と連携してニーズを探りながら、少しでも福島の子どもたちとその家族をサポートをしたいと考えています。
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